2004年マリファナ・マーチ宣言文
[もどる]

マリファナ・マーチ 2004宣言文

 大麻の所持は「逮捕に値しない」。オランダ、ドイツ、フランス、スペイン、イタリア、イギリス、スイスをはじめとするEU諸国やカナダ、オーストラリアなどの国々ではこのような判断から、大麻の規制のあり方に大きな変化が生まれています。
  2004年1月には、イギリスで成人による大麻の所持を逮捕に相当する違反行為とはみなさないという法案が正式に施行されました。この背景には、イギリス国会諮問委員会によって実施された調査結果から、大麻が使用者の健康や公共の安全に及ぼす有害性や危険性は、それほど高くないことが確認されたという経緯がありました。同様な結果がカナダやニュージーランド政府の特別委員会によっても公表されています。アメリカではこれまで州の選挙で大麻の合法化について問われるなどしてきましたが、今年、大麻の容認化を掲げる大統領候補が登場するなど規制を見なおす動きは衰えていません。
  大麻にはそれほどの害がないことは、もはや常識となりつつあるのが、世界的な情勢です。このような認識を踏まえ、日本でも大麻について理性的な議論が生まれることを望みます。
 
  日本では毎年、2000人を越える人々が大麻取締法により逮捕され重い刑罰を受けています。このような状況について、大麻を使用することよりも大麻を取り締まることの方が、弊害が大きいといえるのではないでしょうか。
  大麻の所持や栽培で逮捕された人たちは、日常生活からかけ離れた劣悪な環境の留置場や拘置所に数週間から数ヶ月も留め置かれ、形骸化した裁判で「有罪」判決を受けています。逮捕者の中には失職や退学に追い込まれる人たちがたくさんいます。本人ばかりでなく、その親が仕事を辞めざるをえなくなったり、家庭崩壊、あるいは近所つき合いが難しくなったというケースが起きています。マスコミの実名報道などにより社会的に孤立してしまった、後々、車の免許証照会で不快な容疑者扱いをされたというケースもよく耳にします。
  これら大麻事件の被告は、どこにでもいるごく普通の若者、社会人や学生、つまり国民です。大麻取り締まりによって生じるこのような悲劇は公権力による人権侵害といっても過言ではありません。行政当局は、主権者である国民を徒に「犯罪者」にしている現状を一刻も早く改めるべきです。
  タバコやアルコールに比べても有害性・危険性が決して高いとはいえない大麻をこのように厳しく取り締まらなければならない理由はないのです。事実、取り締まり当局にしても大麻が有害で危険なものだという科学的な根拠を示せないでいます。
  国民に対し、大麻についての公正な情報を公開できず、「麻薬・覚せい剤乱用防止」キャンペーンの一環として大麻を過度に危険視した情報を広めている姿勢は、主権者を欺く愚民政策ではないでしょうか。
  また、大麻取り締まりに関わる捜査費用から裁判、拘置所、刑務所の維持、さらにはいわゆる「麻薬・覚せい剤乱用防止」キャンペーン活動など、これらは国費=税金のムダ使いです。
  大麻取締法違反の裁判では、形式的に法律を当てはめ被告に有罪刑が下されています。裁判所は、刑事事件の有罪判決を下すほど大麻が危険・有害なものなのかという核心的な判断を避けています。公正な裁判がなされると信じてきた多くの被告(国民)はそれに納得のいかないまま刑に服しているのです。こうした司法の現状は「犯した罪の重さと、刑罰は釣り合ったものでなければならない」という「罪刑均衡の原則」に反しているのではないでしょうか。裁判所は、法の公正さを自らが歪めているのに気づいてもらいたいと思います。
  マスコミはこれまで大麻について偏見に基づいた報道を行ってきました。大麻を過度に危険な「麻薬」のように報じるテレビ、新聞、週刊誌により国民は大麻への誤解を植えつけられてきました。マスコミは、先進諸国で進んでいる大麻容認化の流れを、そして日本でも大麻の容認化を求める声があることを無視し続けてきました。国民に真実を伝え、公正な報道を行うというマスコミの社会的責務が問われていると思います。
  また難病の中には、大麻が最も有効な治療薬であることが分かっているものもあるのですが、患者さんの中には大麻が規制されているために、有効な治療を受けられない人もいます。大麻が医薬として使えるようになることは、患者さんたちにとって当然の権利です。わたしたちは、医療目的に大麻を用いることができるよう求めます。
 
  わたしたちは、大麻のように有害でも危険でもないものを厳しく取り締まっているのは理不尽ではないか、その犠牲者(逮捕者)をなくすべきだと訴えています。それは、ヒューマニズムに基づいた、人間としての当然の道理だと思います。
  大麻の容認化という問題は、大麻を好ましく思っている推定で数十万人のいわば社会的マイノリティ(少数者)だけに関わっているものではありません。社会全体から見れば、少数の人間にしか関わりがなく、多くの人たちにとっては直接関係のない問題だとしても、それにより人権を侵害されている人が存在しているという現実に対しては、この社会で暮らす全ての人々は無関係ではないはずです。
  よりよい社会を築くということは、どのような未来の理想を語るよりも、まず今現在、貧困や差別、抑圧など不当・不幸な状況に置かれている人々を救うことからはじまるのだと思います。不当・不幸な状況に置かれている人々への共感やいたわりが人間社会の根本になければ、その社会にはいかなる未来もありえません。そのような意味において、それほど有害性が高くない大麻を不当に厳しく取り締まり、その結果、生活や人生そのものが傷つけられる人々が存在しているという、実に理不尽な現状を改めることは、この日本をよくすることでもあります。
  大麻の容認化は人権が本当に守られる社会、公正で人道的な社会、人間としての道理に反しない、自由で暮らしやすい社会に日本がなれるかどうかという試金石でもあるのです。われわれは、大麻の容認化が良識に基づいた世界的な世論であることを踏まえ、日本においても現在、規制されている薬物の中から大麻を切り離し、その所持・栽培を個人使用に限り容認すべきだと訴えます。

2004年マリファナ・マーチ(東京・大阪・札幌) 参加者一同