前代未聞の「大麻事件」
今年の1月13日、山崎一夫さん(47)という人がタイから帰国する際、成田空港で乾燥大麻7グラムを持っていて逮捕された。1月30日に起訴され3月15日現在、空港警察署の留置場に勾留され裁判を待っている。
これだけならよくある大麻事件の一つのように思われるかもしれない。しかし、この事件は通常の「大麻事件」とは全く違う側面を持っている。というのは、山崎さんは、最初から逮捕されることを目的にわざと大麻を持ってきたのだ。
山崎さんは空港のターミナルビルの旅具検査場で荷物検査を受ける際、素通りしそうになったので、税関職員に自分から「荷物を調べなくていいんですか」と声を掛けたという。大麻を入れた袋はリックの一番上に直ぐ分かるように置いていた。
どうして彼は自分から逮捕されることが分かっていることをしたのだろうか? それは、裁判の場で大麻が何故、悪いものとして取り締まられているのか裁判官に問いただすためにしたのだという。
まるで江戸時代に悪政に苦しむ農民がお上に直訴したのと同じような話だ。山崎さんの行為は、現代の悪法「大麻取締法」に対する直訴ではないか。
山崎さんが「事件」を起こすに至った背景
山崎さんの友人からカンナビストにこの「事件」のことが知らされたのは2月に入ってからだった。山崎さんが「事件」を起こす前に書いていたノートのコピーを入手し、彼の言い分を読み、成田の空港警察署に接見に行ってきた。それらの情報を基にこの「事件」の概要を紹介しよう。
1998年7月に山崎さんは、大麻取締法違反でやはり成田空港で逮捕されている。その時は、ハッシシ(大麻樹脂)39.07グラムを靴に隠していたということであった。このときの裁判に納得できなかったことが、彼が今回の「事件」を起こす契機になっていた。
和歌山県の高校を出てからいろいろな仕事に従事してきた山崎さんは、人生に不全感を懐いて生きてきた。30代になってからインドを旅し、そこで初めて大麻に出会った。彼は98年の千葉地裁の法廷で、大麻を吸うことにより自分に素直になれ、それまでとらわれていたコンプレックスから抜け出せ、肯定的に生きれるようになったと語っている。以来、10年あまり日本で仕事をしてお金を貯めてはインドを旅するという生活を続けてきた。
彼は98年の法廷で、ハッシシ約40グラムを所持していた事実は認めたが、「その事を持って自分が悪いと認めることはできません。私を裁き、罰するなら何が悪いのか明らかにし、そして、どうぞ、私にその罪を認めさせて下さい」(ノートより)と述べたという。
彼は当時、接見に訪れた国選弁護士の「裁判は良心と法律のふたつでやることになっている」という言葉を信じて、法廷では良心に基づき何故、大麻が悪いものなのか検察官や裁判官から聞けるものと期待して裁判に臨んだ。ところが現実の公判は1回目に検察側からの求刑があり、3回目で判決というスピード裁判だった。彼の疑問は全く無視された。判決は、懲役2年6カ月、執行猶予4年だった。
山崎さんは弟2回公判(98年の法廷)の自己弁護のために準備した書面で次のように述べている。
「私はこの裁判の始まりに表明したことがございました。自分が大麻を吸う事を悪いとは思ってないこと。その私を罰するなら何が悪いのかを明らかにしてほしいということです。しかしながら審理を思い返すと、私は追及された覚えがありません。
大麻を吸うことは私の精神に悪い影響を与えると、あるいは大麻を吸う私の存在は社会に悪い影響を与えるとも追及された覚えはなく、何も明らかにされておりません」(ノートより)
彼はその判決には良心がないと思ったという。もう一度、法廷で、裁く側に同じ問いかけをするために今回の「事件」を起こしたのだという。
この「事件」に対するカンナビストの見解
大麻取締法違反は刑事事件である。刑事事件で争われるのは、事実立証(違法行為を行ったか否か)と情状立証(被告の境遇や反省の姿勢を示しているか否か)の二つに絞られる。山崎さんは、7グラムの大麻を持ち込もうとしたことは最初から認める一方、それが悪いことだとは思えないという主張をしている。それは、事実を認めた上で、反省していないことになり、裁判のルールでは自らの罪が重くなるような道を選んでいることになる。
さらに現実の法廷では、山崎さんの意図とは関係なく、法律違反をしたかどうかだけが裁かれることになるはずである。彼の問いは最初から相手にされないまま裁判が進行していく可能性が大きい。その意味では、彼の「直訴」は黙殺されるだけかもしれない。
わたしたちが「事件」のことを知ったのは彼が起訴(1月30日)された後のことだった。彼は接見で会うまではカンナビストの存在も主張も知らなかった。接見は、隣に警察官が座り会話のメモをとっている状況下で30分という制限がついている。わたしたちはCannabis
Newsを差し入れしてきたが、このようにコミュニケーションが十分に取れない状態に置かれているので、彼のやり方や主張は、カンナビスト側とは隔たりがある。おそらく法廷での彼の発言も、わたしたちには違和感があるようなものになるのではないかと思われる。
こういった客観状況を見ていくと、山崎さんの徒手空拳の闘いは厳しい局面にあると言えるだろう。
しかし、大麻問題に理解のある人なら、山崎さんの思いは理解できるはずだ。彼の言葉に嘘はないと思う。理屈の次元ではなく、心の次元、人間の魂を感じる目で山崎さんの訴えに耳をかすとき、そこには共感するものがある。しかも彼が大麻取締法の犠牲者であることに変わりはない。わたしたちは、大局的な立場から、彼を支持していきたいと思う。
振り返って見ると、最近のことでも98年に東京の大久保通りを車で走っていたとき逮捕されたAさん、99年に高山市で逮捕され最高裁まで争った白石博さんなど、法廷で大麻が悪いものではないと言い続け実刑判決を受けてきた人たちが次々と現れている。わたしたちが知らないだけで、法廷で同じような主張を貫いた人たちが他にもいるかもしれない。
彼らは法廷で十分な弁護を受けらなかったこともあり、裁判としては負けたのだが、こういった人たちの捨て身の行動が大麻自由化を前進させてきたと評価したい。司法当局は、良心に誓って悪いことではないと信じている人間に対し、次から次に「犯罪者」の烙印を押し続けている愚に気づくべきである。
裁判の傍聴に行ってみよう
山崎さんは一人で孤独な闘いを起こした。現状では、できるだけたくさんの人が彼の法廷での主張を聞くことが、最大の応援になると思われる。山崎さんの言葉が闇に葬られることなく、法廷の傍聴者がそれを聞き留めるのならそれだけでも大きな成果といえるのではないだろうか。
裁判の傍聴は誰でもできます。傍聴は(当然ですが)無料。身分証明書などの照会や、氏名の記入などは必要ありません。開廷時間(10時)の5分ほど前に法廷に行き、傍聴席に着くことをお薦めします。カンナビストの有志も傍聴に行きます。
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