2月4日、第四回公判が大阪地裁で開かれ、その内容として、弁護側の冒頭陳述(※リンク≫)と、作家の中嶋らも氏の証人質問が行なわれました。
■冒頭陳述は別途アップしてありますが、その趣旨を簡単に箇条書きにしておきます。
1.家族、経歴
- 桂川さんが、正業(印刷業)に従事してきたこと。
- 桂川さん自身に関節痛や神経性疾患があり、父親は81歳と高齢であることに加え、心疾患の持病があること。
- 大麻取締法違反以外の前科はなく、暴力団との関係も皆無であること
2.いわゆる「大麻開放運動」について
- 桂川さんは日本の大麻開放運動を創立し、分派させたりしたわけではないし、組織的に関与したこともないこと。
- 桂川さんが、少なくとも1998年から2001年まで、大麻栽培免許を持っていたこと。さらに、免許交付の却下処分に対して異議申し立てを行なっていたのに、長野県側は何らの対応もしていなかったこと。
- そのような状況のもとで桂川さんが、自身の栽培を黙認されたものと誤解してしまったこと。
- 桂川さんは大麻の使用を望んでいる病人に大麻を分けたことがあり、カンパをもらったことはあるが、桂川さんからその対価を要求したものではないこと。
3.大麻取締法の違憲性について
- 刑罰をもって大麻所持を規制することは、幸福追求権、自己決定権の強度の侵害であること。
- 大麻の取り締まりは、自己決定権の侵害であるばかりか、罪刑の均衡を定める憲法31条にも違反すること。
- 大麻取締法の合憲性を認める最高裁判所の判断は20年も前の情報に基く判断であり、少量の大麻の自己使用は訴追を免除すべきであるとのドイツ連邦憲法裁判所の1994年の決定や、昨今、欧米で大麻の非犯罪化、医療大麻の合法化が進んでいることも参考にすべきであること。
4.まとめ
桂川さんは、カンナビス・カップ、世界見本市の体験や長野県の曖昧な対応から、自身の栽培が黙認されていると思い込んでしまったのであり、決して法秩序を乱すことを目的とした者ではないということ。
■次に中島らもさんの証人質問がありました。その要旨は以下のようなものでした。
(証人質問は弁護側からのみ、検察側からの質問はありませんでした)
- 桂川さんを紹介されるきっかけとなったM氏との出会い、それまでの関係についての質問からはじまり、事件当日の記憶、桂川さんの印象についての確認といった内容、自身の体調についての認識などでまとめられました。
- 本人は12年程前、地元の市民病院で眼圧を測定してもらったところ「緑内障ですね」といわれた記憶がある(しかし当時は特に処方されず、点眼液のみだった)。翌年、他の病気で処方された薬を飲み始めたあたりから、かすみ目、ふらつき、運動失調など身体に不調が出始める。しばらくしてから不調の原因は薬ではないかと思い、やめてみたところ症状が軽くなっていった。その間、緑内障について調べるうち、大麻のことを知り興味を持つようになった。そのことからM氏を思いだし、連絡を取ったところから今回の事件につながった。
- 当日初めて出会ったという桂川さんの印象は、とてもおとなしく、会話もほとんど交わしていないが、桂川さんは大麻を売り物だと考えてはいなかった、自分の作物に対して誇りと愛情をもっているように感じたというものだった。
- 渡した金額に関しては、M氏から食品や資料などを送ってもらっていたので、そのお礼も含めたカンパという意味合いが強かった。
- 最後に、大麻は実際に緑内障に効果がありましたかという質問に対して、効果はあったかどうかはわかりませんが、大麻でこころが和み、おだやかになり、恐怖心が下がりましたと答えた。
- 現在、中島氏は視力もかなり落ちているそうで、歩くことも辛そうな様子。裁判官も中島氏にかなり気遣いを見せているように感じられた。
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