《ドイツの最新憲法判例(信山社/大学図書)より》
工藤達郎(中央大学教授)
1994年3月9日連邦憲法裁判所第2法廷決定
連邦憲法裁判所判例集90巻145頁以下
BVerfGE90,145,Beschluβ v.9.3.1994
【事 実】
本決定は、7つの事件(裁判所の移送決定6件と憲法意義の申立て1件)に対して下されたものである。麻薬法は、その別表Iで、大麻及びその製品を「流通の許されない麻薬」であるとし、第29条以下で、無許可の取扱いに該当する様々な行為類型(取引・交付・取得・所持・輸入等)に対して、網羅的に罰則を科すものとしている。7件はいずれも、この麻薬法の刑罰規定の合憲性を問うものである。
このうち最も重要なのが、リューベック地方裁判所の移送決定(2BvL43/92)である。これは雑誌に掲載されて(NJW 1992,1517)反響を呼んだものであり、他の裁判所の移送決定の基礎になっているものであるから、本稿ではこの事件だけを紹介し、他は省略する。
被告人は、麻薬法違反容疑で拘留中の夫に面会し、抱擁の間に、1.12グラムのハシシの入った小袋を手渡したとして、リューベック区裁判所により、2カ月の自由刑を言い渡された。被告人は、量刑不当を理由にリューベック地方裁判所に控訴したところ、同裁判所は、次の理由により該当する麻薬法の規定を違憲であると確信し、基本法100条1項に基づき手続を中止し、連邦憲法裁判所に事件を移送する決定を下した。
(1)アルコールやニコチンが大麻製品よりも有害であるのは明白であるにもかかわらず、麻薬法が大麻製品のみを麻薬としたことは恣意的であり、立法者の裁量権の限界を逸脱しているから、基本法3条1項の平等条項に違反する。
(2)自己使用目的の大麻製品の交付を処罰することは、基本法2条1項に違反する。いかなる食品、酩酊品を摂取するかについて自己の責任で決定を下すことは、人間の自己決定の基本的要素であるから、「酩酊の権利」も人間の自己決定の中心部分として基本法2条1項の保護を受ける。基本法の制限は比例原則に従ってのみ許されるが、刑罰という手段は立法目的の達成に適合しない。また、大麻が事実上非犯罪化されている国をみれば、刑罰は必要性がない。さらに、刑罰は、基本権の制限と釣り合いがとれていない。ソフトドラッグとハードドラッグを区別していない点も、比例原則に違反する。
(3)大麻製品による「酩酊の権利」を禁止された市民が、より危険なアルコール摂取を強制されることになるから、基本法2条2項第1段の身体の不可侵性に反する。
これに対して、連邦憲法裁判所第2法廷は、問題となっている麻薬法の規定の合憲性を認めたが、少量の大麻製品の非常習的な自己使用目的の行為については、訴追を免除すべきであると判示した。グラスホフ裁判官とゾンマー裁判官の少数意見がある。前者は多数意見の結論に同調するが、後者は麻薬法の規定を違憲と断ずるものである(*1)。
【判 旨】
1 (1) 「麻薬法の刑罰規定は、大麻製品の無許可の取扱いを刑罰によって威嚇するものであるが、刑罰による禁止に関しては基本法2条1項に照らし、自由の剥奪に関しては基本法2条2項第2段に照らし、[その合憲性が]審査されなければならない。
基本法2条1項は、あらゆる形式の人間行為を保護するものであり、その活動が人格の発展にとっていかなる意味があるかを問わない。[しかし]絶対的に保護され、従って公権力の干渉が禁じられるのは、私的な生活形成の核心領域だけである。麻薬の取扱いは、自己酩酊のためであっても、様々な社会的作用および相互作用を有するが故に、この核心領域には含まれない。その他、一般的な行為の自由は、基本法2条1項後半の制限内においてのみ保障されるのであるから、従ってとくに憲法的秩序の保留の下におかれる。憲法的秩序は、形式的かつ実質的に憲法と一致するあらゆる法規範を意味する。この法規定に基づく一般的な行為の自由の制約は、基本法2条1項を侵害するものではない。従って、このような制約が禁じられる『酩酊の権利』なるものは存在しない」。
「基本法が『不可侵である』とする人身の自由はきわめて高次元の法益であるから、基本法2条2項第3段の法律の留保に基づき、特に重大な理由がある場合にのみ、介入が許される」。
これらの基本権の制約の合憲性を判断する憲法上の基準は比例原則である。「この原則によれば、基本権を制約する法律は、立法目的を達成するために適合的かつ必要なものでなければならない。法律が適合的であるのは、それにより効果が促進される場合であり、法律が必要であるのは、基本権を制約しないかより緩やかにしか制約しない他の同じ実効性を有する手段を立法者が選択できなかった場合である。立法目的達成手段の適合性と必要性を判断するに際して、また、この判断に関連してなされる個人または公衆に及ぼす危険の評価と予測に際して、立法者は裁量権(Beurteilungsspielraum)を有し、連邦憲法裁判所はこれを・・・・・・限定的な範囲内でのみ審査することができる。
さらに、介入の重大さと、介入の正当化根拠の重要性ないし緊急性との全体的衛量に際して、禁止の名宛人に対する期待可能性の限界を守らなければならない。従って、その措置が禁止の名宛人に過剰な不利益を課すことは許されない(過剰制限禁止または狭義の比例性)。国家の刑罰の領域では、基本法1条1項に基礎を置く責任主義から、また、法治国家原理と諸々の自由権から導出される比例原則から、犯罪行為の重大性と行為者の有責性とが刑罰と適切な関係に立たなければならない、ということが帰結される」。ただし、可罰的行為の範囲確定は原則として立法者の任務であり、連邦憲法裁判所は、立法者が最も合目的的・理性的・公正な決定を下したかどうかではなく、その決定が実質的に憲法と一致するかだけを審査することができる。
(2) 麻薬法の目的は「個人ならびに住民全体の人間らしい健康を麻薬のもたらす危険に対して保護すること、かつ、住民とりわけ青少年を麻薬依存から守ることである」。この立法目的は、麻薬新条約(1988)に照らしても、憲法上正当なものと是認される。
(3) 「大麻製品がもたらす健康に対する危険性は、今日からみると立法者が法律制定時に考えていたものよりもわずかなものであるが、しかしながら、現時点の認識水準によっても無視しえない危険とリスクがあるとされているのであるから、大麻製品に関する法律の全構想は、憲法上許容される。」「麻薬法の刑罰規定は、薬物が社会に蔓延することをくいとめ、それによって薬物のもたらす危険性を全体として減少させることに適合している。従って、この刑罰規定は、一般的に、立法目的を促進することに適合している。」
(4) 「立法目的を達成するために、刑罰による威嚇と同じく実効的でそれより緩やかな手段を立法者は持ち合わせていない」という立法者の見解は擁護できる。「これに対し、従来の大麻禁止は立法目標を完全には達成できなかったし、大麻解禁は同じ目的をよりよく達成するより緩やかな手段である、という批判がなされるが、この批判はあたっていない。大麻摂取の減少をよりよく達成できるのは、刑法の一般予防効果によってなのか、それとも大麻解禁とそれにより期待される薬物市場の分断によってなのか、という刑事政策上の議論は、未だ決着がついていない」。「このような状況の下で。一般的に刑罰をもって大麻を禁止する方が、刑罰を廃止するよりも多くの潜在的使用者を大麻から遠ざける効果を持ち、法益保護により適合的である、という見解を立法者が堅持したのであるから、このことは憲法上受容されなけらばならない。なぜなら、立法目的を達成するために複数の潜在的に適合した方法が存在する場合、その選択について、立法者は評価および決定の優先権を有しているからである」。
(5) 過剰制限禁止(狭義の比例性)の判断に際して、「大麻の取扱いを原則的に禁止していることと、この禁止の様々な種類の違反行為について刑事罰を科していることとは、区別されなければならない」。大麻の取扱いの包括的な禁止だけでなく、違反に対する刑罰の投入も、一般的には過剰制限禁止に反するものではない。しかし、同じく犯罪構成要件に該当する行為であっても、法益侵害の危険性、行為の違法性と有責性は様々である。違法性と有責性の軽微な行為に対してまで刑罰を科すことは、過剰な、従って違憲な制裁となることもあり得る。その際とくに問題となるのが、少量の大麻製品の非常習的な自己使用目的の行為である。この行為は、他人に危険を及ぼす可能性も、処罰によって得られる利益もわずかであるから、刑罰を科すのは不適切である。「しかしながら、これらの事例を考慮しても、大麻製品の無許可の取得と所持を一般的に ---
一般予防の目的で --- 刑罰をもって禁止にすることは、憲法の過剰制限禁止に反するものではない。訴追機関は、個別事件で行為の違法性と有責性が軽微である場合、その点を考慮して刑罰ないし訴追を免除することができるものとされているのであるから、これによって立法者は過剰制限禁止を充足している」。麻薬法29条5項によれば、行為者がもっぱら自己使用のために少量を入手または所持した場合、裁判所は刑を免除することができるし、麻薬法31a条は、行為の有責性が軽微であり、訴追する公共の利益が存在しない場合には、刑事訴追の免除を可能にしている。少量の大麻製品のもっぱら非常習的な自己使用のための行為について、訴追機関は訴追を免除しなければならない。各ラントは、検事局の中止手続を行政規則によって統一するよう配慮する義務を負う。
過剰制限禁止は、行為の違法性および有責性が軽微な場合、それに応じた実体法を形成する解決法(実体法上の解決)だけではなく、訴追強制の限定、緩和による解決法(訴訟的解決)をも許容する。この訴訟的解決は基本法103条2項の遡及処罰の禁止にも明確性の原則にも反するものではない。
2 大麻製品の無許可の取扱いを処罰することは、基本法2条2項第1段に反しない。大麻製品の流通の禁止は、麻薬法の規制を受けない他の酩酊剤、例えばアルコールに手を出すことを何人に対しても強制するものではないから、基本法2条2項第1段の保護領域への介入は存在しない。アルコールで自分自身の健康をそこなうことを決断することは、摂取者の自己責任の領域にある。
3 平等条約は、潜在的に等しい有害性を有する薬物を、等しく禁止または許容することを命じるものではなく、立法者が種々の利用可能性や社会生活に対してもたらす意義などを考慮することを許容するものであるから、大麻製品に対してアルコールやニコチンと異なる規制をすることは、基本法3条1項に反するものではない。
4 麻薬法がソフトドラッグとハードドラッグを区別していないことは、基本法3条1項に反するものではない。立法者は、裁判所が個別事件において麻薬の危険性を考慮することを可能にしている。
【解 説】
1 基本法2条1項の保護領域とその制約
ある法律が基本法を侵害し、従って違憲であるか否かを審査するにあたって、今日ドイツで広く用いられている判断枠組は「三段階審査(Drel-Schritt-Prufung)」である(*2)。この審査の第一段階では、法律の規制対象となっている行為がそもそも基本権の保護領域に含まれるかどうかが判断されなければならない。もしその行為が基本権の保護領域に含まれないならば、基本権侵害ということはありえないからである。そこで、本件でまず問題となる(*3)のが、麻薬使用が基本権の保護領域に属するか、「(薬物)酩酊の権利」なるものが存在するか、という点である。
基本法2条1項の「人格を自由に発展させる権利」は一般的な行為の自由を包括的に保障するものであり、この権利の保護領域に限界はない(*4)とするのが、1957年のエルフェス判決(BVerfGE 6,32『ドイツの憲法判例』4事件)以降、連邦憲法裁判所の確立した判例であるが、この点については異論がないわけではない(*5)。それ故、麻薬使用はこの権利の保護領域に含まれないとする可能性もありえた(*6)が、連邦憲法裁判所は「基本法2条1項は、あらゆる形式の人間行為を保護するものであり、その活動が人格の発展にとっていかなる意味があるかを問わない」として従来の判例を確認し、この権利の保護領域に何らかの限定を加える考え方をはっきりと退けた。従って、たとえそれが行為者自身または社会にとって有害な行為であるとしても、この権利の保護領域に含まれることになる。
問題となっている行為が基本権の保護領域に属することが確認されたならば、第2段階として、公権力の介入によってこの保護領域が制約されているか否かが審査される。本件のように法律が刑罰をもって禁止している場合、これが肯定されることに疑問の余地はない。しかし、基本法2条1項において公権力のいかなる介入も許されないのは「私的な生活形成の核心領域」だけであって、この領域に属さない行為に対しては、「他人の権利」「憲法的秩序」「道徳律」という三重の制限(Schrankentrias)に基づき、法律による制約が認められる。というのは、憲法的秩序の概念は、憲法規範または限られた範囲の法律だけを指すのではなく、「形式的かつ実質的に憲法と一致するあらゆる法規範を意味する」から、一般的な行為の自由は法律の保留のついた基本権と同義になるからである。従って、法律の保留なしに保障されている基本権とは異なって、他者の基本権のような憲法上のランクを有する他の法的価値を保護する場合だけでなく、それ以外の(憲法上のランクを有しない)法益を保護するための制約も許されるのである(*7)。
2 制約の制約
--- 比例原則
しかし、一般的な行為の自由には法律の保留がついているとはいえ、法律による制約には憲法上限界がある。法律による制約が憲法上正当化されるか否かの審査が「三段階審査」の第3段階である。そこでは形式的および実質的観点において審査が行われるが、後者の観点で特に重要なのが広義の比例原則である。この原則は(1)適合性(2)必要性(3)過剰制限禁止(Ubermaβverbot)または狭義の比例性という三つの部分原則によって構成されており(*8)、(1)立法目的の達成に役立つか、(2)より緩やかな規制手段が存在するか、(3)基本権制限の程度とそれにより得られる利益が釣り合っているかどうか、という三段階で審査がなされる。その際、連邦憲法裁判所がこれらの予測と評価に関して立法者の優先的判断権を承認している点に注意する必要があろう(*9)。連邦憲法裁判所が、立法目的達成手段の不合理性が明らかである場合に限って違憲判断をなし得るという消極的態度にとどまるのか、それを越えた積極性を示すのか、実際の適用を具体的に検討しなければならない。
3 比例原則の適用
本決定は麻薬法の立法目的の正当性を肯定する。しかし、適合性の原則との関連で問題となるのは、大麻の危険性である。連邦憲法裁判所が認定したところでは、その危険性は、立法者が考えていたものよりもはるかに少ない。大麻を摂取して自動車を運転すると危険であることは疑いがないが、それを除くと、大麻は身体的な依存性を引き起こさないし、同じ量ではしだいにきかなくなって量がふえるということもない。心理的な依存性を引き起こす可能性は否定できないが、それもごくわずかであり、無気力症候群(amotivationales Syndrom)を引き起こす可能性には争いがあり、仮にあるとしても、大量の大麻を長期間継続的に使用した場合に限られる。さらに、大麻が踏み台になって、ヘロインやコカインのようなハードドラッグに手を出すようになるという、いわゆる先導作用(Schrittmacherfunktion)は否定されている。それにもかかわらず、連邦憲法裁判所は、「現時点の認識水準においても無視し得ない危険とリスクがある」として、適合性を肯定する。この判断は理解しにくい。必要性の原則に関して、大麻解禁の効果に関する刑事政策上の議論には未だ決着がついていない以上、解禁よりも刑罰という立法者の見解が尊重されなければならないとしているところからみて、あらゆる点で大麻が無害であることが立証されない限り違憲とは断じ得ないという趣旨に思われるが、それとも、大麻の影響から遮断された清潔な社会環境の維持に重点があるのであろうか。
次に、過剰制限禁止(狭義の比例性)の審査において、連邦憲法裁判所は、少量の大麻をもっぱら非常習的な自己使用目的で入所または所持する場合には、行為の違法性と有責性がきわめて軽微であって、刑罰が過剰で違憲となることを認める。しかし、多数意見によれば、麻薬法の刑罰規定は違憲ではない。なぜなら、この場合、刑罰または訴追を免除することが可能だからである。このような訴訟的解決は、過剰制限禁止にも基本法103条2項の原則にも反しないとする。
ゾンマー裁判官の反対意見は、この点を批判する、それによれば、基本法103条2項は、基本権を制限する決定をなし得るのは立法者だけであるという「議会の保留」の一表現であり、犯罪構成要因の射程と適用領域を明確にするよう立法者を義務づけている。訴訟的解釈により訴追機関に自制を求めるならば、広範な構成要件を訴訟法の手段によって修正するという結果となり、何が可罰的かを訴追機関自身が決定することになりかねない。さらに、多数意見は、自由権の制限の正当化は、刑罰が科され執行される段階ではじめて必要になるのではなく、捜査手続の開始自体が基本権の制限であるということを看過している。過剰制限禁止に反する捜査手続から基本権を保護する法的救済手段は存在しない。この理由からも、何が刑罰に値し、何がそうでないかは、実体刑法が画定しなければならない、としている。しかしながら、ゾンマー裁判官は、起訴法定主義、従って訴追強制を原則とすることが憲法上の要請であるとするもののようであるが、例えばわが国のように起訴便宜主義(裁量訴追主義)に基づくとしても、捜査および訴追が恣意的なものでない限り、直ちに違憲と断ずることは困難であるように思われる(*10)。
4 本決定以後
本決定は、従来の中止手続がラント間で著しく異なっていたことを問題視し、その統一運用を求めたものであるが、この点は未だ実現していないようである。何が「少量」かについて一致が得られず、また、多くのラントでは、少量のハードドラッグや、LSDのような幻覚剤の所持についても、刑事訴追がなされていないという(*11)。その限りでは、ゾンマー裁判官の反対意見も説得力に富むが、連邦憲法裁判所自身が基準を設定することも可能であったように思われる。
なお、わが国でも、大麻取締法の合憲性について、裁判でしばしば争われてきたところであるが、1985年に最高裁判所が大麻の有害性を肯定(*12)して以来、実務上はすでに決着がついたとみなされているようである。学説上もこの決定に対して正面から異を唱えるものは存在しない(*13)。連邦憲法裁判所の本決定は、この再検討を促すものであろう。
*一部ドイツ語表記を英文字で間に合わせてある箇所があります。
(*1) 本決定については、すでに、白川靖浩「ドイツ薬物事情(上)(中)(下の1)(下の2)警察学論集第47巻12号、第48巻1号、2号、3号に詳しい紹介がある。そこでは本稿で省略した事件の内容やグラスホフ裁判官の意見についても言及がなされている。あわせて参照していただきたい。
(*2) 「三段階審査」については、松本和彦「基本権の保障と制約に関する一考察(1)(2)」民商法雑誌111巻1号25頁、2号33頁が詳細に検討している。最近の文献では、この審査方法が広くドイツ語圏の裁判所、さらにはヨーロッパの諸機関の共通財産になったとされており、日本国憲法の解釈にも影響を与えている(長尾一紘『日本国憲法(第3版)』(世界思想社・1997)30頁)が、内容的に完全な一致がみられるわけではない。用語の相違を別としても、例えば、エーリヒゼンは、保護領域とは別に規律領域(Regelungsbereich)という概念を使い、さらに限定(Begrenzung)と制約(Einschrankung)を区別する。Vgl.Hans-Uwe Erisen,Allgemeine Handlungsfreiheit,in:Isensee/Kirchhof(Hrsg.), Handbuch Des taatsrechts Bd. IV,1989,§152,Rn.30. エーリヒゼンについては、工藤達郎「幸福追求権の保護領域」法学新報103巻1。2号191頁以下。
(*3) もちろん、このように移送または申立てに理由があるかを審査する前に、これらが訴訟要件を具備しているかが審査されなければならない。実際、本決定でも、具体的規範統制にかかる6件の移送決定のうちの1つは、Entscheidugserhedlichkeitが欠けていることを理由として不適法とされているが、この点は本稿では省略する。Entscheidugserhedlichkeitについては、畑尻剛『憲法裁判研究序説』(向学社)169頁以下、Klaus Schlaich,Das Bundesverfassungsericht,4.Aufl.,1997,Rn.138ff.などを参照。
(*4) ただし、一般的な行為の自由は、個別的基本権の保障からこぼれ落ちた自由を受け止める基本権(Auffanggrundrecht)であり、補充的にのみ適用されるものであるから、個別的基本権の保護領域に属する行為は基本法2条1項の適用を受けない。Vgl.,Erisen,a.a.O.,Rn.255ff.
(*5) 例えば、ヘッセは一貫して限定的な学説を維持している(Konrad Hesse,Grundzuge Des 20.Aufl.,1995,Rn.423.阿部照哉ほか訳『西ドイツ憲法綱要』は、同所第13版の翻訳)し、「森での乗馬」決定(BVerfGE80,137[本書2事件])には、グリム裁判官の少数意見が付されている。ヘッセに対する批判として、Erichsen,a.a.O.,Rn.14ff.ドイツの判例学説の状況については、戸波江二「自己決定権の意義と射程」『現代立憲主義の展開(上)』(有斐閣・1993)325頁以下を参照。
(*6) 日本国憲法第13条の幸福追求件の保護領域に限定を加えるべきか否かをめぐってドイツと同様の争いがあるが、麻薬使用がそこに含まれないことを明言するのは、佐藤幸治『憲法(第3版)』(青林書院・1995)447頁、同『憲法判例百選I(第3版)』(有斐閣・1994)39頁。
(*7) Vgl.,Erichsen,a.a.O.,Rn.31ff.
(*8) これらの用語は確立したものではない。参照、青柳幸一「基本権の侵害と比例原則」『個人の尊重と人間の尊厳』(尚学社・1996)343頁。学説上は過剰制限禁止を広義の比例原則の意味で用いるものも有力である。最近の一例として、Klaus Stern,Das Staatsrecht fur die Bundesrepublik Deutschland,BdIII/2,1994,S.763. 小山剛訳「過度の侵害禁止(比例原則)と衡量命令(1)」名城法学44巻第2号158頁。
(*9) 高木光「比例原則の実定化」『現代立憲主義とその展開(下)』(有斐閣・1993)231頁は、比例原則は日本国憲法13条に実定化されているとするが、合わせて場面ごとに裁量の幅を類型化する必要を説いている。
(*10) わが国でも、捜査・追訴濫用の規律が論じられている。参照、渥美東洋『刑事訴訟法(新版)』(有斐閣・1990)181頁以下。
(*11) Harenberg,Lexikon der Gegenwart'95,S.51.さらに、近藤潤三『統一ドイツの変容』(木鐸社・1998)296頁以下。なお、本決定語のドイツの状況について、折笠勲「ドイツのドラッグ解放運動」『マリファナ・X』(第三書館・1995)76頁以下。
(*12) 判例時報1165号183頁。その評釈として、吉岡一男・法学教室64号110頁。
(*13) 大麻取締法については、植村立郎「大麻取締法」『注解特別刑法5II(第2版)』(青林書院・1992)82頁以下。