マリファナ・マーチ・レポート
『CannabisNews』第6号(2001年10月25日発行)より


マリファナ・マーチ・レポート
 私がカンナビストのムーブメントに参加したのは今年の3月からで、その頃は5月5日の「マリファナ・マーチ」が話題の中心だった。ニューヨークやロンドンのような大規模なマーチはニュースなどでも知っていたが、それを日本で開催するのは初めてのことであり、大麻自由化のムーブメントを冠にしたイベント自体過去にその例はなく、それは運営メンバー個人にとってもまったくの初体験を意味した。
 その実現には何をどうして良いのやら、手探り状態というよりほとんど見切り発車だった。当初は使命感よりも先に恐怖心ばかりを感じ、私はできることなら中止になって欲しいとまで思うことがあった。
 マリファナ・マーチは世界120都市で同時に催される。日程は決定していてそれに合わせるしかなかった。しかしタイミングとして良いのだろうか。既成事実として決行されても、はたしてどれだけの人達が集まるのだろうか。3月の時点では私には日本の現状が見えず、今、人々が大麻に対してどういう見方をしているのか、それがどうしても見えてこなかった。集まっても30人。そんなネガティブな言葉すら出ていた。
 
 マーチの開催日も近づき、その告知のためのビラ配りやフライヤーを置いてもらう依頼などで、「春風」(代々木公園で開かれたフリー・パーティ)への参加や原宿や渋谷のショップ巡りをさせてもらった。
 「春風」での反応は驚くほどであった。トランス系のレイヴということもあり、大麻をイメージさせた出店やそういう雰囲気を好む多くの人たちばかりにもかかわらず、カンナビストのその主張は群を抜いて目立ち、多くの人々の称賛を浴び、多くの人々に勇気を与えた。それがまた活動への原動力となった。
 フライヤー設置の依頼で街中に出てみても、リーフマークの旗はなびき、バッズやリーフをプリントしたTシャツが目に付く。時代は確実に進んでいる。その実感は我々に勇気を与えた。また恒例の「ぐ」での会合にも30人近くの人達が集まり、その驚きは大きな希望へと移り変わっていき、当初描いていた30人ぐらいの参加ではないかという過小評価を誰も口にしなくなった。
 初めてというのは楽しみでもあるが怖ろしい。日々準備に忙しく時間を費やしていても、その日が近づいてくると得体の知れない不安感が頭をよぎる。大勢が来るのか少数しか来ないのか、多すぎたらどうしよう、少なすぎたらどうしよう。日本初のマリファナ・マーチ。日本で初めて大麻を語る集会。日本初のイベントで、これまた未経験者ばかりのスタッフによる運営。準備が整った前日になっても、その不安は変わることがなかった。 
 眠れぬ夜を過ごし当日会場に着いて設営を始める。12時過ぎ、まだ来場者は見えない。1時過ぎ、開会である。しかし来場者はまだまばらにしか見えない。「ここまでかっ!」展示物の傍に立って僅かばかりの来場者に解説をすることで会場から目を背け、私は現実を直視できずにいた。ジャンベが鳴り出した。その音は人を誘っているようにも聞こえた「さあおいで、楽しいことが始まるよ」その音に私も誘われたのか、ふと振り返るとそこには大勢の人達がいた。声が出なかった。
 「これからどうするんですか?」「マーチはやるんですか?」来場した人たちにこれからの進行を聞かれ説明をしていると、気づかぬうちに会場は黒山の人だかりになっていた。スタッフはそれぞれの部署に着き、マリファナ・マーチが確実に実現したのを感じた。スタッフの、運営にかかわったムーブメントへの想いの姿は私の中で沸き上がる想いとなり、涙を堪えずにはいられなかった。
 参加した人達も自分の心の想いを声にして叫ぶ。運営とか観客とかいう垣根はなかった。皆が皆参加者であり一つになっていた。独りじゃない。仲間がいる。この心強さを皆が求めていたのかもしれない。家族に黙って参加した、遠くからやって来て参加した、この日を夢見て参加した、勇気を振り絞って参加した。そして皆が、来て良かったと言う。そんな来場者の思いが緩やかに会場を包む。私は思った、やって良かった、中止にならなくて良かった、と。
 人目をはばかっていた分その声は大きかった。その声は渋谷の街のビルの谷間に木霊して、それは警官までをも呼び込んだ(近所から騒音の苦情が出たので来たというのが警官の説明だった)。大麻の会合に警官が来る。私は多少の不安を感じたが、参加者は誰も臆することなく、進行も中断することはなかった。事の事態を知ろうと警官を囲み人だかりが出来る。大麻を語るのは罪ではない。主張を叫ぶのは間違っていない。恐れることなど何もない。そのことを警官達は確実なものにしてくれた。

 カンナビストの存在に多くの人が驚き、勇気を与えられ、応援し、いま街中では当たり前のように大麻関連の物が目に入る時代になった。そして遂に日本初のマリファナ・マーチが行われた。世界各都市で行われるマーチも東の果てにまで及んだのだ。私は今自分が次のターンに移ったこの時代にあることを、感謝せずにいられなかった。

(日鷲)