【資料】


アジア諸国における薬物乱用者対策


 本資料では、香港、韓国、マレーシア、シンガポール、タイにおける薬物乱用に対する法的規制および乱用者に対する強制的処遇制度等について紹介している。
 これらの国では、薬物の製造や不正取引に対しては厳罰が科されるが、乱用者に対しては処罰よりも治療・教育を重視し、刑罰とは異なる特別の処分として強制的処遇(施設内処遇または社会内処遇)などの手続きが用意されている。これと比べて、日本では乱用者に対して非常に厳しい処罰が科されていることが分かる。

 


『平成16年版 犯罪白書』法務省法務総合研究所編

(第3章成人矯正の動向と課題 第3節成人矯正の課題とこれに対する取組 6覚せい剤受刑者の処遇、329ページ〜331ページ引用)

6 覚せい剤受刑者の処遇  

 本章第2節4で見たとおり、我が国では、昭和50年前後ころから覚せい剤受刑者が大幅に増加し、現在は、新受刑者の約5分の1、年末在所受刑者の約4分の1が覚せい剤受刑者によって占められている。また、その大半が末端乱用者であると推測される。覚せい剤受刑者は、他の罪名による受刑者と比べて再入率が高く(5-3-2-39表)、特に出所後3年間が再犯の危険性の高い期間であり(5-3-2-41図)、いかにしてこの期間における再犯を抑止するかが課題となる。
 現在のところ、覚せい剤受刑者は、懲役刑の内容としての刑務作業に従事する傍ら、処遇類型別指導の一環として、講義、グループワーク、カウンセリングなどの薬物乱用防止教育に参加しているが、この点に関しては、薬物乱用防止新五か年戦略(薬物乱用対策推進本部。平成15年7月。)が、矯正施設における薬物乱用防止教育の充実に言及しているほか、行刑改革会議提言(同年12月)も、薬物依存者について、刑事政策的観点から処遇の在り方を検討すべきことを指摘している。
 以下では、前記提言等に対する法務省矯正局の取組の状況を紹介するとともに、我が国同様薬物乱用問題に悩むアジア諸国において、薬物乱用者に対してどのような処遇が行われているのかを紹介する。

(1)薬物依存者に対する処遇の在り方の検討
 薬物乱用防止新五か年戦略において、矯正施設は、「薬物依存・中毒者の治療と社会復帰を支援し、再乱用防止の効果を向上させるため、引き続き職員の指導技術の向上、新たな教材開発、民間資源活用の推進等に一層努めるとともに、被収容者の社会復帰支援の一環として、民間団体との連携の在り方についても検討していく。」ものとされ、また、行政改革会議提言においても、「薬物事犯の特性に着目した刑事政策的観点から処遇の在り方を考え、再入率を抑えることが可能となるような処遇に努めるべきである。」とされたことなどを受け、法務省矯正局においては、平成16年4月から6月にかけて、薬物事犯受刑者処遇研究会を開催した。同研究会は、薬物依存者の治療に関する専門機関や薬物依存からの回復支援に取り組む民間自助団体などからも参加を得て、これまで実施してきた薬物乱用防止教育を始めとする処遇の内容を再検討するとともに、薬物事犯受刑者に対する教育を一層充実させるための方策について検討するためのものであり、参加者からは様々な意見が表明された。  法務省矯正局では、同研究会において表明された意見を踏まえて「薬物乱用依存離脱支援プログラム(仮称)」を取りまとめた上、各施設で実施することを予定しており、現在、同プログラムの作成作業中である。

(2)アジア諸国における薬物乱用者対策
 法務総合研究所では、平成15年から16年にかけて、国連アジア極東犯罪防止研修所と共同で、薬物乱用問題に悩むアジア諸国を対象に、「アジア地域における薬物乱用の動向と効果的な薬物乱用者処遇対策」に関する調査研究を実施した。ここでは、その結果に基づき、香港、韓国、マレーシア、シンガポール及びタイにおける薬物乱用に対する法的規制及び薬物乱用者に対する強制的処遇制度等について紹介する。
 これらの施策が具体的にどの程度の効果を上げているかについては、実証的研究の蓄積が必要であり、また、そもそも薬物乱用にどのように取り組むかは、それぞれの国の社会的・文化的・政治的背景はもとより、乱用される薬物の種類によっても異なるであろうから、我が国と単純に比較すべきではないが、覚せい剤受刑者の再犯を防ぐための効果的な処遇の実施が探求されていることにかんがみ、なお参考になるところもあると考える。

ア 5か国・地域における薬物乱用の動向
 香港及びマレーシアにおける薬物乱用の主流は、ヘロイン、モルヒネ等のあへん系薬物であり、韓国及びタイにおいては、覚せい剤系薬物である。シンガポールにおいては、過去5年間に合成麻薬(覚せい剤、エクスタシー等)の乱用が急増し、2003年以降あへん系薬物を上回って主流となっている。

イ 薬物犯罪(供給側)に対する法的規制
 いずれの国・地域においても、密売、製造など、規制薬物の流通にかかわる行為については、死刑又は無期刑を含む厳罰をもって臨んでいる。  例えば、香港では、危険薬物の製造・不正取引に対する法定刑の上限は無期拘禁刑であり、シンガポールでは、ヘロイン、覚せい剤及びコカインの無許可取引の最高刑は死刑、無許可製造の法定刑は死刑のみである。マレーシアでは、危険薬物の不正取引に従事した場合の法定刑は死刑のみであり、加えて、一定量(ヘロイン及びモルヒネは15グラム、大麻・大麻樹脂は200グラム、覚せい剤は50グラム)以上の危険薬物を所持していると、不正取引に従事していたものと推定される。タイでは、ヘロイン、覚せい剤などの第I類麻薬を譲渡目的で製造又は輸出入する行為の法定刑は死刑のみであり、また、20グラムを超える第I類麻薬の譲渡又は譲渡目的所持の法定刑は死刑又は無期刑である。

ウ 薬物乱用行為に対する法的規制及び薬物乱用者に対する矯正的処遇
 これらの国・地域においては、規制薬物の供給側の者に対しては、極めて厳しい処罰で臨んでいるが、一方、乱用者(特に、薬物使用歴の浅い者)については、処罰よりも治療・教育を重視した処遇を強制的に行う手続が用意されている。
 すなわち、薬物の使用は、5か国・地域のいずれにおいても犯罪とされているが、捜査機関による摘発又は裁判の段階において、薬物乱用者の中から適格者を選別した上、行政機関又は裁判所の命令によって強制的処遇に付することが可能とされている。ここで強制的処遇とは、本人の意思にかかわらず、施設内又は社会内において、薬物依存問題の解決に向けた専門的処遇を行う制度をいう。各国・地域における強制的処遇制度の概要は、5-3-3-9表に掲げたとおりであり、韓国を除き、強制的処遇の対象者は刑事手続から外され、原則として、薬物犯罪については処罰されない。

エ 強制的処遇の方法・対象等
 強制的処遇の実施方法としては、施設内処遇、社会内処遇又はその両者の組合せがあり、医療サービス(健康診断、解毒治療等)、カウンセリング等の心理的介入、作業療法、職業訓練などの様々な手法を活用して、断薬及び乱用者の更生を目指した処遇が行われている。また、香港、マレーシア及びシンガポールでは、施設内処遇の対象者は、釈放後一定期間にわたって法定の監督(社会内処遇)を受け、その期間中、尿検査等の方法によって処遇成績のモニタリングが行われる。社会内処遇の期間は、当初から社会内処遇に付された場合を含め、これを実施している4か国・地域(香港、マレーシア、シンガポール及びタイ)すべてにおいて、6か月から3年という相当程度にまとまった期間が確保されており、さらに、強制的処遇終了後も、各種の公的機関や民間資源を活用した継続的なケアの枠組みが設けられている。
 強制的処遇の対象となる乱用者の範囲は国・地域によって異なるが、シンガポールにおいては法令解釈上、マレーシアにおいては運用上、過去に2回以上強制的処遇を受けたことのある者は、強制的処遇の対象から除外され、末端乱用者であっても、加重された自己使用罪によって処罰される。タイでは、法律上、強制的処遇は1回限りとされており、過去に強制的処遇による不起訴歴を有する者は、適用対象から除外される。以上のほか、香港においても、薬物嗜癖治療センターへの収容を命ずるか否かを裁判所が判断するに当たり、過去に強制的処遇による収容歴を有するか否かが考慮される。このように、各国とも、治療・教育を重視した強制的処遇の対象となるのは、原則として薬物乱用歴の浅い者に限られ、薬物乱用を繰り返す者は刑事処罰の対象となっている。