(法学教室64号110頁より)
大麻の有害性を肯定して大麻取締法の違憲論を退けた最高裁決定
(A)最高裁昭和六〇年九月一〇日第一小法廷決定
(昭和六〇年(あ)第四四五号大麻取締法違反、関税法違反被告事件)
(判例時報一一六五号一八三頁)
(B)最高裁昭和六〇年九月二七日第一小法廷決定
(昭和六〇年(あ)第四四五号大麻取締法違反被告事件)
(判例集未登載)
〈事件の概要〉
(A)は、自己使用目的での大麻草約一八グラム(一四袋)のわが国への持ち込みが、大麻取締法四条一号、二四条二号、関税法一一一条二項違反(密輸入)に問われたもので、懲役一〇月に処した第一審(千葉地判昭和五九・一〇・八)に対して法令適用の誤り(大麻取締法は憲法三六条、三一条、一四条、一三条に違反して無効)と量刑不当を理由に控訴がなされたが、原審(東京高判昭和六〇・二・一三)は「大麻は精神薬理的作用を有し、これを多量に使用するときは単なる感覚、知覚の変化にとどまらず幻覚、妄想等を起し、時として中毒性精神異常状態を生ずることがあり、大麻の使用経験の浅い使用者については類似の症状が少量の使用によっても生じ得ることが国際機関等の公表された研究・報告等によって明らかにされており、大麻が人体に有害であることは公知の事実であって、所論のように大麻に有害性がないとか有害性が極めて低いものとは認められない。そうすると、国が国民の福祉・衛生上の見地から大麻の輸出入、所持等につき規制を加え、これに違反した者に対し刑罰を以て臨むことも当然許されるのであり、これに対し如何なる刑罰を規定するかは、原則として立法政策の問題である」として憲法違反の主張を退け、量刑不当も否定して控訴を棄却した。被告側は、再度憲法違反((1)大麻には、かつて考えられていたような強い有害性はなく、その所持等を五年以下の懲役、七年以下の懲役(罰金なし)とする大麻取締法の規定は、罪刑の適正を要求する憲法三一条および残虐刑を禁じる同三六条に違反する。(2)大麻より有害性の大きい酒・煙草の所持・摂取が原則として自由とされているのに対し、大麻のみが取締りの対象とされ厳しく処罰されるのは、法の下の平等を規定する憲法一四条に違反する。(3)大麻の摂取も幸福追求権の内容をなし、その有害性の低さは、それを公共の福祉による制約の埒外とするから、大麻取締法による規制は憲法一三条に違反する)と量刑不当を掲げて上告した。
(B)は、大麻の無害を信じ自らも使用するドイツ人による大麻樹脂一キログラム弱の密輸入が懲役三年に処されたもので(東京地判昭和五九・一二・二〇)、原審(東京高判昭和六〇・五・二三)は控訴趣意の第一を「要するに、大麻の有害性についての立証がなく、したがって、大麻の輸入を処罰する大麻取締法二四条二号、四条一号の規定は、憲法一三条、一四条、三一条及び三六条に違反する(以下略)」というものとした上で、「大麻の有害性は、大麻取締法による大麻輸入の規制目的の正当性、その規制の必要性、規制手段の合理性を基礎づける事情であって、いわゆる『立法事実』に属するから、『判決事実』とは異なり、必ずしも訴訟手続における立証を要しない(中略)したがって手続の瑕疵はない」とし、つづけて「大麻の有する薬理作用が人の心身に有害であることは、自然科学上の経験則に徴し否定できないとことであり」以下(A)の原審とほぼ同旨で、大麻取締法は憲法一三条、三一条違反とはいえないこと、酒・煙草と大麻の規制の差異は、人の地位、身分によって差別を設けたものではなく、単なる行為の属性によって生じたにすぎないから、憲法一四条にも反しないこと、三六条についても、輸入罪に対する七年以下の懲役刑の規定が「違反行為の罪質に比して均衡を失するほど重い刑罰を定めたもの」とはいえないことを述べ、量刑不当の主張も退けた。被告側の上告趣意は多岐にわたるが概ね、(1)薬物使用に対する刑事罰が許容されるのは使用による具体的な社会的被害が立証されている場合に限る、(2)向精神薬の「有害性」は価値判断にかかり、その規制は恣意的となること、戦前の印度大麻の規制から戦後の大麻草一般への規制対象の拡大も合理性に乏しいこと、(3)大麻の向精神作用はむしろ有益であり、精神の拡大、深化作用を有する大麻の使用は憲法一九条、二一条の範囲内にあること、(4)大麻取締法は違憲であるが、かりに合憲であるとしても、本件の懲役三年という判決は、憲法一三条、一四条、一九条、二一条、三六条に、また弁護人の証拠請求を全く認めずになされた有害判断にもとづく科刑は三一条、三七条に違反することを内容とする。
最高裁はいずれについても決定で上告を棄却した。
〈決定要旨〉
(A)上告趣意の第一、憲法一三条、一四条、三一条、三六条違反の点は、「大麻が所論のいうように有害性がないとか、有害性が極めて低いものであるとは認められないとした原判断は相当であるから、所論は前提を欠き、同第二は、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。」
(B)「上告趣意のうち、大麻取締法の規定違憲をいう点は、大麻が人の心身に有害であるとした原判決の判断は相当であるから、所論は前提を欠き、その余の違憲をいう点は、実質は単なる法令違反、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。」
〈解 説〉
両決定は、大麻取締法違反事件においてたびたび争われてきた大麻の有害性を、最高裁として((A)は初めて)肯定したもので(なお、同法に関する最高裁判例としては、(B)の原審引用の最二小決昭和五七・九・一七刑集三六巻八号七六四頁(「大麻草」一属一種説を支持して憲法三一条違反の主張を退けた)のほか、(大麻輸入の謀議に関する)最一小決昭和五七・七・一六刑集三六巻六号六九五頁、(同輸入罪成立時期についての)最一小決昭和五八・一二・二一刑集三七巻一〇号一八七八頁がある)、大麻の有害性に関する議論は、裁判実務上はこれで決着をみたともされる(前掲判時一一六五号一八三頁)。しかし、「有害性」の内容、大麻取締法をめぐる憲法議論において、それがどのような意味をもつかについてはなお検討が必要であろう。
大麻の有害性については、かつて、麻薬なみの強い依存性や耐性、社会的害悪性が言われ、厳しい処罰規定をもつ取締法に帰結した。やがて一九六〇年代を経て、その有害性論には疑問が呈され、酒・煙草なみの合法化も主張された。裁判上は、大麻取締法の違憲論として争われたが、比較的早い時期の判例(東京地判昭和四四・一一・二九)は「大麻は、用法如何によってはその使用者の心身に異常な症状をもたらし精神依存性を生じることのある危険な薬物であるばかりでなく、これを乱用すると、他の薬物の常用者に移行したり、多くの犯罪の原因となることもあって、社会的にも有害な薬物である」として、その実質的な社会的有害性をも肯定して、処罰規定の合理性を論じていた(村上尚文編・麻薬・覚せい剤事犯に関する裁判例(一九七五年、立花書房)二六三頁)。やがて、「大麻取締法制定当時の大麻の有害性に関する科学的認識と現下のそれとの間には研究の進展に伴い相当の隔りがあること」を認め、「大麻の個人的使用のための少量の所持や使用は不処罰にするか、あるいは罰金、科料をもってのぞむことも一つの方策」としつつも、前掲(A)の原審同様、大麻の有害性を、多量使用の場合や個人差によって起こりうる精神異常状態の発生可能性に求め、他方刑罰の方は、懲役五年以下を酌量減軽すれば一五日まで下げうるし執行猶予も可能であるとして、特段に重いとは言えないとするもの(東京地判昭和四九・八・二三村上前掲二五七頁)、同様に違憲論は退けるものの「大麻に従来考えられて来た程の有害性がないと認識されるに至っていること」を量刑上考慮するもの(東京高判昭和五三・九・一一判タ三六九号四二四頁)も出た。
その後、大量投与や動物実験などから、有害性論の巻き返しもみられ(前掲判時一一六五号一八三頁解説の参考文献。これらにも明快に疑問を呈するものとして小林司・心にはたらく薬たち(一九八五年、筑摩書房)一一四頁以下参照)、判例にも、無害であると断定できるまでは、あるいは害悪の可能性が残る限りは刑罰による規制も許されるとするもの(大阪高判昭和五六・一二・二四判時一〇四五号一四一頁など)や、大麻本来の薬理作用を社会的有害性と直結させたり(福岡高判昭和五三・五・一六最高裁事務総局編・麻薬・覚せい剤等刑事裁判例集(一九七九年、法曹会)五四七頁)アルコールよりも有害を明言するもの(福岡高判昭和五三・六・二〇前掲刑事裁判例集五五二頁)もある。本件二つの原審は、そこまでいかず、大麻の有害性を、その本来の薬理作用ないしありうべき心身への有害作用にみるものであろう。
ところで、大麻取締法違憲論の中心は、すでに一般論としては最高裁(最大判昭和四九・一一・六刑集二八巻九号三九三頁)も「刑罰規定が罪刑の均衡その他種々の観点から著しく不合理なものであって、とうてい許容し難いものであるときは、違憲の判断を受けなければならない」として認めている三一条違反の点であり、右にみた大麻の有害性議論も主としてはその点に係るものであるが、ここでは、大麻の有害性それ自体ではなく、その所持・輸入等が、実体要件としての犯罪の実質性を持つかが問題である。そこで、「有害性」が薬理作用そのものないしはせいぜい使用者本人への有害作用に止まる場合には、そのような意味での大麻の有害性を認めた上でもなお、本質的には自傷行為にすぎない例えば自己使用目的での所持等に犯罪行為としての実質性があるか(パターナリズムは刑罰的介入の理由として十分か)を問いうるのである。従って、本件の決定が、大麻の有害性が肯定されるが故に所論は前提を欠くとする点は、(A)の上告趣意が有害性の不存在を手掛りとする限りではそれに応えるものと言えるが、(B)の上告趣意や(A)の実質的主張に対して十分なものであるかには疑問がある。酒・煙草との比較を三一条違反と結びつけることは、大麻にも有害性を肯定した上で、なお、違憲を論じるものでもある。
両決定の射程ということでは、また、憲法三六条違反の点もある。とりわけ(A)の原審のように「有害性」をとらえれば、経験者による少量の自己使用目的の所持など、その有害性が全く否定される場合もありうる。このような事案では、前述の三一条に関連しての適用違憲のほか、刑罰量によっては、近時の有力説に従い(最判昭和二三・六・三〇刑集二巻七号七七七頁は「直ちに」に力点をおくことになる)三六条の残虐刑禁止違反を主張する余地も残されているといえよう。
もちろん、以上の疑問にもかかわらず、冒頭でもふれたように、両決定が、大麻の有害性肯定に名を借りて大麻取締法違反の実質的犯罪性を確認し、(B)の原審にみられた「立法事実」の援用による被告側立証活動の拒否と相俟って、大麻の有害性を云々する違憲論は既に決着のついたもの、主張の前提を欠く、として一律に処理していくためのバネとして働く可能性は大きい。
なお、大麻取締法の違憲論一般については、植村立朗・大麻取締法(一九八三年、青林書院新社・注解特別刑法5)六二頁以下参照。
(吉岡一男 = 京都大学教授)