(判例時報1165号183頁より)
大麻取締法違反、関税法違反被告事件、最高裁 昭六〇(あ)四四五号、昭60・9・10
一小法廷 決定、上告棄却、裁判集登載
一審千葉地裁昭五九(わ)八六七号、昭59・10・8判決、二審東京高裁昭五九(う)一六九四号、昭60・2・13判決
本決定は、大麻取締法違反の事件でしばしば争われている大麻の有害性について、最高裁が初めて判断を示した裁判例である。本件の事案は、大麻草約一七・八三グラムを空路本邦内に持ち込んで輸入したというもので、被告人は大麻取締法違反及び関税法違反(無許可輸入未遂)で
起訴された。弁護人は、一審及び控訴審を通じて、大麻に有害性はないこと、あっても極めて低いことは公知の事実であり、大麻の輸入などを禁止・処罰する大麻取締法は憲法一三条、一四条、三一条、三六条に違反すると主張したが、両審級の裁判所にこれを退けられたため、更に上告趣意の中で、右の憲法違反の主張を繰り返した。これに対し、最高裁第一小法廷は、本決定で、「大麻が所論のいうように有害性がないとか有害性が極めて低いものであるとは認められないとした原判断は相当である」と判示して、弁護人の右主張を排斥したのである。
大麻の有害性を否定又は疑問視する見解は、これまでの事件においても被告人側から度々主張されており、これについて判断を示した下級審の裁判例は、少なからぬ数に上っていると推測される。このうち公刊物に登載された高裁判例としては、(1)東京高判昭53・9・11判タ三六九・四三四、(2)東京高判昭56・6・15本誌一〇二六・一三二、(3)大阪高判昭56・12・24本誌一〇四五・一四一、(4)東京高判昭60・5・23東京高検速報二七九五があり、これらはいずれも被告人側の主張を排斥して大麻取締法の合憲性を認めている。このように、下級審の裁判例は大麻の有害性を肯認する方向でほぼ固まっていたと目されるが、本決定は、最高裁として初めて右の方向を支持する立場を明言したもので、これが実務にもたらす意義は大きいと考えられる。第一小法廷は、本決定に引き続き、前記(4)の東京高判に対する上告審決定である昭和六〇年九月二七日決定(昭六〇(あ)七三五号、裁判集登載予定)においても、「大麻が人の心身に有害であるとした原判決の判断は相当である」と判示しており、大麻の有害性に関する議論は、裁判実務上はこれで決着をみたということができよう。
なお、大麻の有害性に関する議論の具体的内容については、前記(1)ないし(3)の高裁判決で詳しく述べられているので、それらを参照されたい。((4)の高裁判決は、大麻の有害性はいわゆる「立法事実」に属する事実で必ずしも訴訟手続における立証を要せず、また、大麻の有害であることは自然科学上の経験則に徴し否定できないところである、と述べ、この点に関する具体的判断は示していない。)また、参考文献としては、植木「大麻の有害性について」ひろば二五・八・三〇、岸田「大麻を探る1〜3」時の法令九九一・二三、九九二・一九、九九三・一〇、瀧「マリファナと健康、(1)、(2)」警察学論集三三・一〇・一一五、三三・一一・一二〇等がある。
《参照条文》 大麻取締法、二四条2・四条1、憲法一三条・一四条・三一条・三六条
【主文】本件上告を棄却する。
【理由】弁護人山下俊之の上告趣意第一は、憲法一三条、一四条、三一条、三六条違反をいうが、大麻が所論のいうように有害性がないとか有害性が極めて低いものであるとは認められないとした原判断は相当であるから、所論は前提を欠き、同第二は、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
よって、同法代四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 矢口洪一 裁判官 谷口正孝 和田誠一 角田禮次郎 高島益朗)
弁護人山下俊之の上告趣意
弁護人の上告理由の第一点は憲法違反の主張であり、第二点は量刑不当の主張である。
第一、原判決には憲法の違反があり、その違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄されるべきである。
即ち、大麻取締法は日本国憲法第一三条、一四条、三一条、三六条に違反する無効な法律であり、従って被告人の大麻取締法違反の公訴事実は無罪である。
しかるに、原判決は、弁護士のかかる主張を排斥して、被告任意対し大麻取締法第二四条二号、四条一号を適用して有罪判決を下した第一審判決を支持する旨の控訴棄却の判決をしており、かかる違憲、無効な大麻取締法第二四号二号、四条一号を適用処断した第一審判決、これを容認した原判決にはいずれも憲法の違反があり、同違反が判決に重大な影響を及ぼすことは明らかであるから、第一審判決及び原判決は破棄されるべきである。
以下その理由を詳述する。
一、第一に大麻の所持、栽培等を禁止している大麻取締法第三条、大麻の輸出入を禁止している同法第四条及びそれらの違反者に対する罰則を定めている同法第二四条、同条の二の各規定は、罪刑の法定が適正であることを要求している憲法第三一条及び残虐な行為を禁止している憲法第三六条に違反するものである。
大麻取締法によれば大麻の所持、譲渡、譲受、使用等については五年以下の懲役、栽培、輸出入については更に重く七年以下の懲役刑に処せられることになっており、いずれも罰金刑の選択はない。
しかし、大麻に有害性がないこと、あっても極めて低いことは近時において公知の事実となっている。
大麻取締法制定当時、大麻の有害性はヘロイン、コカイン等のいわゆる麻薬類と同等に考えられてきた。
そして、この有害性として従来次のような諸点があげられてきた。
即ち、第一に身体的依存があること、第二に強い精神依存によって害悪が生ずること、第三に耐性が生ずること、第四に人を攻撃的にして暴力犯罪を引き起こすこと、第五に催奇形性があること、第六に大麻の害がそれほどではないにしても、大麻を吸飲することにより強い刺激を求めてヘロイン等の使用に進んでいくこと等の諸点である。
しかし、これらの有害性なるものが実は客観性のない神話であり、通常の大麻使用が個人的にも社会的にも害がないものであることは、一九七二年に出されたマリファナ及び薬物乱用に関する全米委員会の「マリファナ − 誤解のきざし」と題する第一次報告書やその翌年に出された同第二次報告書等の権威ある資料によって次第に明らかにされてきたのである。
麻薬とは、一般に「強い精神的及び肉体的依存と使用量を増加する耐性傾向があって、その使用を中止すると禁断症状が起り、精神及び身体に障害を与え、さらには種々の犯罪を誘発するような薬物」と定義されるが、大麻は薬理的にも社会的にもこのような麻薬ではないのである。
そして、このように大麻に有害性がないこともしくは有害性が低いことが明らかになるとともに、近時アメリカの多くの州において大麻取締のための罰則の緩和が進められ、またこれが世界的な傾向となっていることは公知の事実である。
しかるに、日本の現行の大麻取締法は前述の通り大麻の取締について罰金刑の選択もない厳しい刑罰をもって臨んでおり、これは今日知られる前述の様な大麻の有害性の低さに比して余りにも残虐な刑罰であり、罪刑の均衡を失するものと言わなければならず、かかる意味で大麻取締法は憲法第三六条、三一条に違反するものである。
二、第二に大麻取締法は法の下の平等を規定した憲法第一四条に違反する。
アルコール、ニコチン等が常習的摂取によって強い精神的、身体的依存をひき起こし、肝臓や心臓に悪影響を与えあるいはガンの誘発物質となり、またアルコールが人を攻撃的にして暴力犯罪をひき起こしたりすることは今日の医学常識であり、その有害性は大麻よりもはるかに大なるものがある。
しかるに、酒、タバコについては未成年者との関係を除いてはその使用に何ら法的に規制されていないのである。
このように大麻より危険性、有害性が高くあるいは同程度に有害と認められる薬物や嗜好品の所持、摂取が原則として各個人の自由に委ねられていることに鑑みるならば、大麻取締法をもってひとり大麻のみを取締の対象とし、しかも前述のような厳しい刑罰を課することは法の下の平等を規定した憲法第一四条に違反すると言わなければならない。
三、第三に大麻取締法は憲法第一三条に規定する幸福追求権を侵害するものとして無効である。
最高裁判所も昭和四五年九月一五日のタバコの喫煙に関する判決で喫煙の自由が憲法大一三条の保障する基本的人権、即ち幸福追求権の一つに含まれることを承認している。
従って、逆に公共の福祉に反しない限りかかる幸福追求権を制限することはできないのである。
大麻の摂取がタバコの喫煙と同じように幸福追求権の一内容をなすものであることは明白である。
そして、前述のように大麻は有害性の低いものであり、これらの摂取は公共の福祉に反しないものであるから、幸福追求権の一つとして保障されるべきであり、従って大麻取締法によって大麻の摂取やこれに関連する行為を規制することは憲法第一三条に違反する。
四、結局、以上述べたように大麻取締法は憲法第三一条、三六条、一四条、一三条の各規定に違反する違憲無効な法律であり、従って原判決が被告人の本件大麻の輸入行為について同法第四条一号、第二四条二号を適用して被告人に有罪判決を下したことは、憲法違反の誤りを犯したものである。
《以下省略》
《参考:日本国憲法》
第一三条[個人の尊重、生命、自由、幸福追求の権利の尊重]
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第一四条[法の下の平等、貴族制度の否認、栄典の限界]
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
(以下略)
第三一条[法定手続の保障]
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
第三六条[拷問および残虐な刑罰の禁止]
公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。