大麻の使用は本当に「犯罪」なのか
『CannabisNews』第7号(2001年12月28日発行)より


大麻の使用は本当に「犯罪」なのか
大杉 拓郎

 周知のように、日本では大麻の所持、栽培などが大麻取締法で禁止されており、この法律に違反すれば、「犯罪」として重罰に処せられる。確かに、「法律に違反することが犯罪である」と形式的に考えれば、大麻=犯罪、そして違反者=犯罪者ということになる。しかし、法律的な視点から、より実質的に考えた場合、大麻を使用することは、どのような意味において「犯罪」と言えるのだろうか。本稿では、この点について、筆者の考えを述べていきたい。

1.「犯罪」の定義について

 多くの人にとって、犯罪は、「法律を破る行為」であり、あるいは、「警察につかまるような行為」、とイメージされているだろう。「手錠」、「パトカー」、「取調べ」「牢屋」、などの、犯罪にまつわる想像はつきない。しかし、これらは、ある行為が犯罪とされたことの結果(効果)に過ぎない。そもそも、なぜ、ある特定の行為を行った者が逮捕され、行為者にとっては重大な人権侵害である、死刑や懲役刑などが科されるのだろうか。さらに、なぜその行為が法律で禁じられているのだろうか。 このように実質的に考えないと、犯罪というものの正体は、少しも明らかにはならない。
 近代的な刑法学では、犯罪は次のように定義される(*1)。
 すなわち、犯罪とは、
(1)その国の国民の大多数が「悪い」と考える、人の行為であって、
(2)そのうちで、国民が刑罰を使ってまで守ろうとする利益を、侵害する行為である。
(3)また、それは、処罰に値する程に法秩序(社会秩序)を侵害する行為でもある(*2)
 これらは、それぞれ、犯罪の持つ「違法性」、「法益侵害性」、「法秩序違反性」をあらわしている。以下では、この定義を順番に用いて、大麻取締法との関連、とりわけ、大麻を使用することの、実質的な違法性を考える。

2.大麻使用の違法性

 犯罪とは、いうまでもなく「悪い」行為でなければならない〔(1)〕。この「悪さ」を違法性と呼ぶ。違法性には程度がある。もちろん、殺人ならばこの程度、窃盗ならこの程度と、正確に定めることはできない。また、同じ犯罪でも違法性は異なる場合がある。これは、常識に照らしても当然のことである。しかし、ある犯罪行為の違法性の程度は、その犯罪に対して定められている法定刑から、大まかに読み取ることができる。
 例えば、殺人は3年以上の懲役、無期懲役または死刑であり、窃盗は、10年以下の懲役である。このことから、殺人は非常に違法性の高い行為であることや、殺人より窃盗のほうが、一般に違法性が低いと考えられていることがわかる。
 それでは、大麻取締法24条に定められている法定刑(所持なら5年以下の懲役、輸入・栽培なら7年以下の懲役)は、少なくとも法律上、どの程度の違法性があるとされているのだろうか。これは他の犯罪と比較してみるのがわかりやすいだろう。そこで、大麻所持の5年以下の懲役を基準とし、それより法定刑が軽い犯罪や、同等な犯罪を下表(「法定刑の比較」)に示す。

法定刑の比較
●大麻取締法24条1項
   ・同2項違反
所持−5年以下、輸入・栽培−7年以下
◎住居侵入罪(刑法130条) 3年以下の懲役または10万円以下の罰金
◎公正証書原本等
  不実記載罪(同157条)
5年以下の懲役または50万円以下の罰金
◎収賄罪(同197条) 5年以下の懲役
◎贈賄罪(同198条) 3年以下の懲役または250万円以下の罰金
◎殺人予備罪(同201条) 2年以下の懲役
◎業務上過失致死傷罪
   (同211条)
5年以下の懲役・禁錮または50万円以下の罰金
◎暴行罪・凶器準備集合罪
   ・脅迫罪(同208条・222条)
2年以下の懲役または30万円以下の罰金
◎名誉毀損罪(同230条) 3年以下の懲役・禁錮または50万円以下の罰金
◎業務妨害罪 3年以下の懲役・禁錮または50万円以下の罰金
◎横領罪(同252条) 5年以下の懲役
※選択刑として罰金刑が予定されている犯罪は、そうでない他の犯罪と比較して一般に軽い犯罪とされている。

 この表からわかるように、法律上、大麻を所持するという行為は、贈収賄行為・横領行為と同等の違法性評価をされており、他に列挙した犯罪より違法性が強いとされている。栽培ともなれば、現行法上は、横領よりも、贈収賄よりも「悪い」行為とされているのである(さらに、あらゆる重大な犯罪と同様に、大麻取締法違反には、条文にはあらわれない「刑」として、社会的地位・名誉の剥奪が伴うことも、指摘しておく)。
 筆者は、大麻の所持や栽培に対する、こうした違法評価が、国民の正義感覚に、合致していない、誤ったものであると考えている。実務でも、5年(7年)以下という高い法定刑に対し、実際には1〜2年の懲役、執行猶予付の判決がなされることが一般的になっている。このことは、国民意識や客観的事実と大麻取締法との乖離が、保守的な日本の裁判所も見過ごせない程に進行していることを示している。

3.大麻使用の実質的違法性

 上述のように、違法性とは行為の「悪さ」のことである。ところで、この「悪さ」とは、具体的にはどのようなものだろうか。上記(2)(3)の点、すなわち法益侵害性と法秩序違反性からの考慮が必要である。
法益侵害としての違法性
 犯罪に対して科される刑罰は、人間にとって害悪であり、苦痛である。刑罰は重大な人権侵害であるが、なぜ、このようなものが認められるのだろうか。一般には、刑罰から生まれる不利益よりも、刑罰を使って犯罪行為を防止することから得られる国民全体の利益のほうが多いからである、と説明される〔(2)〕。
 この、「刑罰を使ってまで守ろうとする利益」のことを「保護法益」と呼ぶ。これは、「立法目的」という言葉に置きかえてもよいだろう。保護法益を欠き、あるいは保護法益の定かではない犯罪処罰規定は、ただ国民に刑罰という人権侵害を加えるだけにすぎない。このような不合理な法律は、「加害者」を「被害者」に変えてしまう(そうした立法は憲法に違反するものとして、無効ということになっている)。
 したがって、あらゆる犯罪処罰規定には、保護法益が存在するし、また、存在しなければならない。
 例えば、殺人罪の保護法益は人間の生命であり、窃盗罪では財産である。これに対して、大麻取締法の保護法益は何だろうか。大麻取締法そのものには、保護法益・立法目的の記述がない(これはこれで問題である)。そこで、学者や判例の解釈により、「麻薬及び向精神薬取締法(麻向法)」と立法目的を同じくすると理解されている。 通説によれば、大麻取締法の立法目的は、大麻の濫用による日本国民の保健衛生上の危害を防止することにあるという(*3)。つまり、学者や裁判所の見解によれば、大麻使用者は日本人の健康を損ない、日本社会の衛生を悪化させる、という法益侵害を行っている、ということである。
 ここでは、そうした立法の基礎になる事実(「立法事実」と呼ばれる)と、立法目的が、空疎なものであり、客観的・科学的見地から見ても、社会的見地から見ても、誤りであるということを指摘するにとどめておく(*4)。
 保護法益の存在そのものが疑わしいことは、ニュースを見ればわかるだろう。「××県○○市の会社員が、大麻を栽培し、われわれの保健衛生に危害を加えた」というふうに、最も具体的な法益侵害が指摘されることはないのである。そのかわり、大麻取締法に違反した、云々という、保護法益という観点が欠落した報道がなされる。これは、殺人や強盗がなされた場合に、誰が殺害され、どのような物が盗まれたかという、具体的な法益侵害が詳細に報道されるのと、対照的である。他方で、殺人が起こした人物が「刑法199条に違反した」、などと言われることはありえないのである。

法秩序・倫理秩序違反としての違法性
 大麻取締法においては、大麻使用の違法性が過大に評価され、また、保護法益が本当にあるのかどうかさえ疑わしい、ということを、ここまで考えてきた。最後に、犯罪の持つもう一つの要素である、法秩序・倫理秩序の侵害(つまり、「法を破る」ということ自体の持つ違法性)という観点(3)から考えていきたい。
 現在、日本国内で、大麻を使用することは、まぎれもない法律違反である。確かに、「法に違反することが犯罪である」といってみても、冒頭の素朴なイメージの再現にすぎないことは論理的に明らかであると思う。しかし、日本には、「警察につかまるのは悪人にきまっている」式の議論から一歩も踏み出せないで、警察発表をそのまま流すだけのマスコミが存在する。また、他ならぬ裁判官自身が、大麻事件において「改悛の情」を見せず大麻の有害性を争う被告人に対し、「遵法精神の欠如」を理由として、実刑を科すケースがある。
 この、「法に違反することが犯罪である」という態度は、論理的には最も貧弱なものにすぎないが、実は、マスコミや司法などの権威の影響を考えれば、日本人の最も代表的な態度なのかもしれない。だからこそ、この点をめぐる論争はしばしば感情論や水掛け論となってしまうのである。
 そこで、筆者の見解を簡潔に述べて、反論を待つことにする。もちろん、「法律がいとも容易に破られる社会」というのは、危険な社会であることは確かである。しかしながら、「合理的な根拠を欠く法律をひたすらに守り続けなければならない社会」も、同様に住みにくい社会なのである。
 両者は紙一重であり、前者は民主主義の未熟な姿(みんなできめたルールを平気で守らない)であり、後者はその堕落した姿(みんなで無内容なルールを苦しみながら守る)であると思う。前者は端的に、国民の規範意識の欠如を意味する。他方で後者は、表面的には秩序やモラルを装いながらも、水面下では規範意識の崩壊をもたらすものである。なぜなら、「刑罰制度が有効に機能するためには、それが国民の規範意識によって裏づけられている必要がある(*5)」からである。この「裏づけ」のない刑罰制度が、国民の規範意識をかえって弱めていくことは、明らかである。
 民主主義と近代立憲主義は、この両方の間で微妙なバランスを保ち続けなければならないのではないだろうか。
 繰り返すが、犯罪や刑罰を考えていくとき、「なぜ悪いのか?」あるいは、「国民のどのような利益を侵害するのか?」というように、より実質的な観点が必要である。そのような観点から、個々の犯罪は吟味され続けるべきである。

4.最後に

 以上、大麻を使用することの違法性を、法益侵害性、法秩序違反性という二つの実質面から検討した。これらの面から見て、大麻使用の法益侵害性はないといってよく、法秩序違反性は、たとえあっても、それは軽微なものに過ぎない、したがって、まともな社会であれば、およそ犯罪とされるような行為ではない、というのが、筆者の意見である。
 おそらく、大麻使用者のほとんどは、住居侵入罪や殺人予備罪や横領罪が、大麻所持より、はるかに違法性が高いものであることを知っている。彼らは、これらの、他人に危害を加えるような犯罪をも平気で犯す無法者などではない。むしろ彼らは、大麻取締法の不合理に直面することで、法律を実質的観点から主体的に考えることを身に付け、われわれの陥り易い、ある種の堕落を避け得ているのではないかとすら思う。 あまりに罪刑の均衡を失した現行法のもと、大麻事件で有罪判決を受けた人は、被害者であるとも言える。筆者の考えでは、大麻を使用する人にとって、自らを犯罪者と決めつけて卑屈になるよりも大事なことは、結局、被害者とならないため、不当な処罰を受けないための危機管理なのである。大麻の使用については、そうした文脈でのみ語られるべき性質のものであり、最終的に危機管理の一手段として中止するか否かは、個人的な問題にすぎないと思っている(*6)。




*1 厳密には、違法性の本質として、(2)法益侵害性と、(3)法規範違反性のどちらかを強調するかで、学説等の立場はわかれる。本稿では、両方の立場から説明するため、このような定義にした。

*2(3)の定義については、大塚仁『刑法概説(総論)』第二編犯罪論を参考とした。

*3 [麻向法第一章総則第一条]
  「この法律は、麻薬及び向精神薬の輸入、輸出、製造、製剤、譲渡し等について必要な取締りを行うとともに、麻薬中毒者について必要な医療を行う等の措置を講ずること等により、麻薬及び向精神薬の濫用による保健衛生上の危害を防止し、もつて公共の福祉の増進を図ることを目的とする。」
  これを大麻取締法に当てはめると、「本法の目的は、大麻の所持、栽培、譲渡、譲受、使用、輸出、輸入等について必要な取締を行うともに、大麻の濫用による保健衛生上の危害を防止し、もって公共の福祉の増進を図ること」、となる(『注釈特別刑法』第8巻・309頁、植村立郎『大麻取締法』9頁)。

*4 残念ながら、日本では大麻は凶悪なドラッグであり人を堕落させるという誤解や、意識変容に対する偏見がある。ただし、大麻の作用や、意識変容の有害性(有用性)を検討することは、本稿の直接の目的ではない。

*5 前田雅英『刑法総論講義』58頁
  国民の規範意識による「裏づけ」のない刑罰制度とは、わかりやすくいえば、「国民がまったく悪いと思っていない行為に、国家が厳罰を加えるような法律」のことである。このような法律がまかり通っては、国民は何が本当に守るべき道徳なのかわからなくなり、法律や司法制度そのものに対して、信頼を失っていくだろう。

*6 これが、「犯罪行為から足をあらうべきであり、道徳を守るべきである」などという性質の問題ではないことは、本稿で主張してきた通りである。